ア イ ダ ニ ア ル モ ノ

今のところ(2002/2/11)ライブでしか歌っていない曲。いや正確に言うとライブ初披露(2001/11/11)の前日の友人のウエディング・パーティーを含む。気がつけばそんなメデタイ場所で歌った経験はもう14回くらいだと思うが、式にあわせて書き下ろしたのは初。ものすごいスピードで書けてしまったのは、その新郎新婦に対する想いの強さか、それともライブ用に欲しかった曲と結婚というテーマが、ただただタイミングがあっただけなのか、真意は定かではないがとにかく自分の中でも重要な位置を占める曲が出来たのは間違いない。しかし書き進めるうちに、この曲の詞が単にふたりの幸せを願う為だけではなく、「人類平和」という漠然としながらも昨今誰もが口に出来るようになってきたテーマに限りなく関わっていることに気がついた。なぜ同じ人間が、違う宗教のもと、違う価値観の為だけに戦わなければならないのか。そのアイダには何があるのか?神を信じるのに形はいらない。目に見えないものは同時に心の中にあるもの。神はそれぞれの心の中にいる。それを目に見えるものに変えて、そして他者とは違うものを組み立て、自分たちと違うものは完全否定した。例え原形は同じでも。テーマの大きさが違っても人と人のアイダにある距離感の難しさは同じ気がする。部隊を指揮する者と者のアイダ。国を統制する者と違う国を動かす者のアイダ。そして男女のアイダ、友人とのアイダ、共に生活する夫婦のアイダ。仲良くしている時に、共有できる楽しい時間と美しい景色。それが言い争いをしている時や悲しくて泣いている時には何も見えない。それどころかまわりのものが悲しく見えてくる。アフガニスタンは数年前までは緑豊かな楽園だったらしい。それが度重なる内戦で醜い土地に変わったという。争いのアイダに。ついでにいうと環境破壊も同じ。開拓事業からくる森林伐採もいわば競争という名の争い。その間にどれだけの生物が滅びていったか。 テーマが大きくなりすぎたので軌道修正する。自分が出来る範囲で話すと、とにかくくだらないことで人とは争いたくない。それだけ。今まさにムカツイている人からすると、この問題はくだらなくない。と言われそうだが俺が言っているのは、あくまでも個人レベルの話であって、ね。素直になって、今この時間を楽しもうってこと。
2002/2/11:murakami.